歴史

ポデーレ・マロントルトは標高440~480mのキャンティの丘のアルノ渓谷西側にあります。ごつごつした岩だらけの森に囲まれたその中心部は“オルマ・デル・ディアボロ”(悪魔の足跡)と名付けられ、そこには“ボッロ・デイ・ディアボリ”(悪魔の小川)や“ボッロ・デッラ・ポッツォ・デイ・ディアボリ”(悪魔の井戸の小川)が流れています。

この“悪魔の”と名付けられた地名は、古代にこの地に存在した信仰に由来すると考えられています。

18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、トリボリーノ・コルシという名前の炭焼き職人がキャンティでよりもヴァルダルノで炭を販売したほうが利益があると判断し、荷馬車に炭を積んでモンテバルキの市場で売るようになりました。商売が軌道にのるとほかの職人が焼いた炭も販売するようになりました。彼はキャンティとヴァルダルノの境界線上のバディア・ア・コルティブオーノにあるスタニスワフ・ポニャトフスキ所有の建物に居を構え、その後ボッロ・デイ・ディアボリ付近のキャンティとヴァルダルノの谷を繋ぐ小道にあった古い遺跡を購入し、そこを馬小屋、倉庫、事務所へとリフォームしました。さらに周りの土地も買い取りブドウやオリーブの木を植えました。これがポデーレ・マロントルトの出発点となりました。

ボッロ・デイ・ディアボリ”(悪魔の小川)が会社の所在地名としてふさわしくないと考えた創業者は所有地にあった大きな歪んだ栗の木のそばにあった井戸の名前にちなみその地を“マロントルト”としました。しかし後にはその土地は創業者の名前にちなみトリボリーノと呼ばれるようになりました(トリボリーノ・キャンティのキャンティは後からつけられました)。現在ではマロントルトという地名はなくなりポデーレ・マロントルトの会社名としてだけ残っています。

良質なポデーレ・マロントルトのオリーブオイルは地元以外でも評判を呼び、

ポッジョディソープラを見下ろす石壁に小さな階段を設け工場の目の前から直接アクセスできるような道路建設が許可されるまでになりました。

トリボリーノはキャンティとトスカーナで最も大きな農産物市場の1つでもあったモンテヴァルキの間に位置します。マルティーニ家がフィレンツェからこの地に移ってきてくれたおかげで、以前は炭の貯蔵庫であった場所が今では人気のオステリア(居酒屋)になっています。

第二次世界大戦直後、生産に陰りがみられましたがそのような状況下でも地元の古くからの友人知人達は顧客としてわたしたちを支え続けてくれました。

現在会社は安定的に成長し、さらなる品質向上にむけ古いオリーブ園の再整備を行い、

メロの森”と呼ばれる20世紀のはじめに植樹された糸杉の森の整備にも力をいれ素晴らしい環境を守り育んでいます。

スタニスワフ・ポニャトフスキ (1754 – 1833)

ポーランドの貴族、王冠領近衛隊長、リトアニア財務長官を務め、白鷲勲章を授与される

1823年よりフィレンツェに在住、旧Abbazia di San Lorenzo a Coltibuonoの地主となる

フィレンツェの建築家であり風景画家であり彫刻家でもあるトリボーノの名前で知られるニッコロ・デイ・ペリコリ、トスカーナ大公コジモ・ディ・メディチ1世の宮廷建築家、

ボーボリ庭園やセンプリチ庭園の設計を担う

アッティッロ・サッシ

イタリアおよびブラジルにおける労働組合幹部 イモラ石工職人組合、ピアツェンツァ農民労働組合、クレヴァルコーレ荷馬車組合、ヴァルダルノ・ディ・ソープラ鉱員組合

イタリア鉱員石工連盟事務総長(FIMC

Francesco Raspini

ラスピーニ

フィレンツェの貴族リカゾリ家所有、ガイオーレ・イン・キャンティのブローリオ城農園管理人

coniugi Fiechter

フィシュテル夫妻の写真